2025年、今年の秋分の日は9月23日「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」国民の祝日で彼岸の中日だ。
この日は太陽が真東から昇り真西に沈むことから、仏教で説かれている西方十万億土のかなたにある極楽浄土≪彼岸(悟りの世界)≫に通じやすい為、先祖供養を行うのに相応しい日とされてきた。つまり、現世と極楽浄土が最も近くなる特別な日で自然と宗教が調和し、お墓参りや先祖供養をする日本独特の習慣となっている。
9月の鎌倉遊歩は二階堂の永福寺跡に行ってみよう。彼岸の中日の23日、晴れている午後4時頃がお勧め。
何故かというと静かな心で夕陽を見つめることで西の空に沈む太陽に極楽浄土を観想出来る「日想観」が体験できる場所だからだ。
永福寺跡への道順は鎌倉駅東口5番バス乗り場鎌倉宮(大塔宮)行きのバスに乗り、終点で下車、(乗車時間は10分位)鎌倉宮を遥拝し境内を通り抜け、瑞泉寺方面に5分ほど歩くと左手に池がある大きな広場に着く。ここが源頼朝の発願により建てられた永福寺というお寺があった処だ。頼朝は奥州合戦(文治5年・1189)で平泉藤原氏が築いた豪奢な浄土伽藍に魅せられ、奥州の鬼門の地であるこの地を選び、建久3年(1192)から建久5年(1194)にかけて二階堂を中心に、薬師堂・阿弥陀堂、惣門・南門・釣殿・多宝塔・鐘楼・僧坊を持った臨池伽藍を備えた荘厳な永福寺を建立し、浄土世界を具現しようとした。(頼朝は庭の配置など細かい処まで配慮した。剛力で知られる畠山重忠が背負ったと伝わる石が現存している)その威容は「雲軒月殿絶妙比類無し(雲に届くような軒も、月のような綺麗な建物もその素晴らしさは較べるものがない・吾妻鏡)」と言わしめた。建立の目的は奥州合戦で亡くなった兵の鎮魂、頼朝の命の恩人である池禅尼の為、そして源平合戦、奥州合戦の勝利宣言と云われている。頼朝没後も歴代将軍の崇敬を集める御願寺に位置付けられ蹴鞠(けまり)や花見、和歌を楽しみ、栄華を極めていく。鎌倉後期には二度の火災があり、その都度再建されたが、応永12年(1405)の火災後は再建される事なく地中に埋もれてしまった。昭和58年度(1983)から平成19年度(2007)までの発掘調査で、遺物が相次いで発掘され吾妻鏡などの記録に残された永福寺の実在が考古学的に裏付けされた。現在の永福寺跡には建物はないが、お堂の土台となる正方形の「基壇」が南北方向に三つ並び、その向かいにはひょうたん型の池が面している。基壇の大きさから、建屋の威容が想像できる。ここでは何カ所かにQRコードを読み込める地点があり、スマホをかざせば、復元図が見られる仕組みになっている。
9月23日の16時頃、西に沈む太陽を観察してみよう。三堂(阿弥陀堂・二階堂・薬師堂)の真中、二階堂の真上に夕日がピッタリ合致する。極楽浄土を感じる感動の瞬間! 魂が震えるかもしれない。
800年前に頼朝が見た夕陽と同じ夕陽と同じ場所だ。永福寺は春秋の彼岸の夕日が二階堂の真上に落ちるように設計されていたのだ。夕闇が迫る頃、先人の生き様を学び、温故知新の喜びに浸りながら帰路は歩いて鎌倉駅迄帰ろう。(鎌倉駅までは徒歩で30分位)
≪鎌倉歴史愛好家 田嶋早苗≫
